(研究)日本企業の経営理念による企業文化形成と事業活動への影響⑤ (理念の浸透と企業文化の関係性)

「理念の浸透」と「企業文化」の関係性は、組織の核となる価値観がどのように組織全体に行き渡り、やがて組織の当たり前の行動様式となるかを説明する上で、極めて密接かつ不可欠な関係にあります [i]。

企業文化の定義と構造

まず、「企業文化」とは、組織の構成員が共有しているすべての潜在的な意思決定基準と定義されます [i]。これは、目に見える行動や公に表明された価値観だけでなく、**「背後に潜む基本的仮定」**にその本質があるとされています [i]。エドガー・シャイン(2016)は、企業文化を以下の3つのレベルで捉えています [i]:

1. 文物(Artifacts): 目に見える組織構造、手順、服装、シンボルなど、表層的な要素 [i]。

2. 標榜されている価値観(Espoused Values): 企業の戦略、目標、哲学、公に表明されている理由など、組織が意識的に共有しようとする価値観 [i]。

3. 背後に潜む基本的仮定(Underlying Basic Assumptions): 無意識に当たり前とされている信念、認識、思考、感情など、文化の真の源泉となる部分 [i]。

この3つのレベルのうち、最も深層にある「背後に潜む基本的仮定」こそが企業文化の本質であり、組織の行動や意思決定を無意識のうちに方向づける力となります [i]。

理念の浸透が企業文化を形成するプロセス

企業文化が形成されるプロセスにおいて、「理念の浸透」が中心的かつ不可欠な役割を果たします [i]。エドガー・シャイン(2016)は、創業期の企業文化成立の3つのプロセスを示しており、この中で理念の浸透がどのように文化へと昇華されるかが説明されています [i]:

1. STEP 1: 創業者が自身の頭の中にある価値観を**「理念として公表・標榜」**します。この段階では、理念の「成文化」と「公表性」が重要であり、読み手に対して働きかける効果を持ちます [i]。

2. STEP 2: 従業員(個人・集団)がそのやり方(理念に基づいた行動)の正しさを確信し、繰り返し行動することで、理念が浸透し始めます [i]。この段階は、単に理念を知っているだけでなく、「認知的理解」「情緒的共感」「行動的関与」という3つの次元で理念が深く受け入れられている状態と捉えられます [i]。理念の「認知的理解」は内容の正確な把握、「情緒的共感」は理念への心の共鳴、「行動的関与」は理念に基づいた行動の実践を指します [i]。この3つの要素が循環することで、理念は個人の行動を促します [i]。

3. STEP 3: 集団で学習した内容が価値観や信念となり、無意識のうちに行うようになる、すなわち「基本的仮定」として定着することで、真の企業文化が成立します [i]。

このプロセスからもわかるように、理念が単に形式化され公表されるだけでは不十分であり、組織のメンバーに深く「浸透」し、行動を促すことが不可欠です [i]。理念が浸透しなければ、それは習慣化され、無意識の意思決定基準となる「企業文化」へと発展することはありません [i]。理念が浸透せず形骸化してしまうと、理念の実効性が低下し、企業文化の形成にもつながりません [i]。

「強い文化」の概念とその限界

かつて、ピーターズとウォーターマン(1982)は、経営者主導で少数の核となる価値観が企業内に浸透し、企業文化として定着することで高い業績が生まれるという**「強い文化」**の考え方を提唱しました [i]。しかし、この概念には批判もあり、理念が抽象的な言葉から行動レベルに解釈されるプロセスが不明確である点や、経営層のリーダーシップに偏重し、ミドルマネージャーや組織成員の直接的な経験・相互作用への考慮が不足していると指摘されています [i]。

これは、「強い文化」の考え方がマクロな視点に偏っており、個人や集団への理念浸透というミクロなプロセスへの詳細な考察が不足していることを意味します [i]。そのため、理念浸透をより深く理解するためには、高尾・王(2012)が提唱する**「理念浸透の3次元モデル」**(認知的理解、情緒的共感、行動的関与)のような、ミクロレベルでのアプローチが重要とされています [i]。

理念の浸透と企業文化の重要性

「経営理念型企業」や「パーパス経営」といった経営スタイルでは、この理念の浸透を通じた企業文化の形成を特に重視しています [i]。これらの企業では、基本理念に従った行動を社員に奨励するために、理念の浸透を促進し、組織内での一貫した行動が繰り返され習慣化されることを意図しています [i]。これにより、企業独自の強い企業文化が形成され、社員の士気を高め、組織への帰属意識を強化すると考えられています [i]。

今回の調査でも、経営理念型企業やパーパス経営を行う企業は、そうではない企業と比べて理念の浸透度合い(認知的理解、情緒的共感、行動的関与)が高いことが明らかになっています [i]。これは、理念を重視する経営が、社員の理念浸透度合いと企業文化の形成にポジティブな影響を与えていることを示唆しています [i]。

企業文化は、まるで組織のDNAのようなものです。経営理念という設計図がどれだけ優れていても、それが細胞(社員一人ひとり)に深く理解され(認知的理解)、受け入れられ(情緒的共感)、実際の機能(行動的関与)として発現しなければ、組織という生命体特有の性質や特徴(企業文化)は形成されません。そして、そのDNAが世代を超えて引き継がれ、無意識のうちに組織のあらゆる活動を方向づけるようになったとき、その組織は真に「文化」を持っていると言えるのです。

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